千葉県の被災地にも、仮設住宅ができました。6月26日。
IC支援チームの有志が仮設住宅の見学とあわせて、観光支援に行きました。
今泉ななこ会長撮影の写真と報告。つづけて吉田会員の報告です。
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佐原町並み交流館
利根川水運で繁栄し往時の面影を残す土蔵つくりの商家や千本格子の町屋が立ち並ぶ。
<北総の小江戸・水郷さわら>
震災で瓦が昔からの施工方法(土の上にのせてある)のため重くてずり落ち、青いビニールシートが
いたるところに被り悲惨な姿、重要伝統建物という制約があり住人が不便を感じても簡単に修復でき
ないという。
現代の瓦の施工方法と異なり、瓦が落ちた時は危険の知らせで退避せよ!とのことだとかという先人
の知恵のお話でした。泥棒除けはしのび返しという粋な呼び方だそうです。
佐原の家並み見学 ボランティアガイドの方が案内して下さいます。元数学のちゃきちゃきマダム?
宇野先生のおかげさまでお醤油屋正上さんの被災された内部まで見学できました。壊れた蔵は何年
かかっても決して元通りにはならないだろうと残念そう、長谷寺と我が家にしか見られないというサビ壁
がご自慢の様子、私達はラッキーで普段公開されていない部分まで見せていただけました。
伊能忠敬旧宅江戸時代からの店舗の一部と表門の瓦屋根もきれいに無くなってシートの
青に変貌していました。
被災前はのどかな街並みで映画のロケにも良くつかわれたという風景、倉敷に似ているな
と思いました。
仮設住宅
始めは遠慮がちに・・・少々お時間いただけますか?
数分後、みんなで仮設の入口のサイズを図っていました。地面に近いので現在はジメジメ感が
あるとのこと、冬は寒いかもしれないと、又西日があたって暑いらしいW1800サッシ入口には
各住居者が後付けされたとみられる異なる暖簾というかカーテンというか布がかかっていま
した。西日のせいだけではなくやはり内部が丸見えは嫌だということだと思われます。
室内のカーテンは付帯されていたが、入口はついていなかった様子でした。西日遮蔽用と
配布された朝顔やへちまが芽を出していました。お礼にカーテン布で作成したBAGをプレ
ゼントしました。
タクシーで仮設住宅からあやめ祭りへの移動中に被災した街 香取(赤紙を貼られていな
い家は在宅らしく洗濯物がありました)で下車、車窓からの説明では感じられない臨場感、
平行感覚を失い短い時間でも気分が悪くなりそうでした。どうにも修復できそうにない配管
が道路の上を走っていました。
とりあえず配管をということでしょうが、盛り上がった地面や沈下した部分を修復する手段は
果たしてあるのでしょうか?
何もない東北のガレキの街は報道されていますが、東京からわずか2時間くらいの近隣に
このような被災地があることはほとんど報道されておらず、家が残っているだけに不便な生
活を強いられている方々を目のあたりにして胸が痛くなりました。

あやめ祭り あやめ祭り最終日でしたが思ったより花が残っておりハスや睡蓮の花も咲き、私たちの
心を癒してくれました。
今泉なな子
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2011 6/26 <水郷・佐原 支援突撃隊 つれづれレポート >
記者 吉田ジュンコ隊員
梅雨の日曜日、朝早い集合と慣れない場所での集合に、ドギマギしながら始まった小旅行
でした。
実は今回のメンバーの中に、「最強の晴れ女」と「最強の雨女」の2人がいて(誰かは文末を
お楽しみに)どうなる事かと思いましたが、結果は五分五分の引き分けとなり、しっとりとした
曇り空で暑さもほどほど、「熟女の旅」には丁度良い天候となりました。アヤメ(実はこの時期
は菖蒲でした)も雨上がりの風情がありました。
流石にIC集団です。見るところ、興味のある事、尋ねることや、起こす行動がメンバーほぼ同
じ、という習性とテンポが小気味いい。ちょっと気になることがあると、実際にやってみないと済
まずに、気がつけば全員で歩く、写す、測る、触る、食べる、買うという展開続きでした。
特に被災の大きかった「正上(ショウジョウ)」宅(今泉レポート参照)での専門家集団の探究パワー
はすごいものがありました。10 代目御当主様、ご丁寧な対応に心より感謝申し上げます。つい
でに寄らせていただいた店舗で試食した様ざまな佃煮とお茶のおいしかったこと! 店舗を後
にした時、メンバー全員の手にはしっかりと買い物袋が。
「有形文化財」に指定されている歴史的建造物に実際に住み、古くから商いを受け継いでいる
店舗や創建時の工夫や知恵も多く、学ぶことが多々ありました。とはいえ時代の趨勢の中で
次代を見据えてコンバージョンを迫られている実態もあり、考えさせられた一面もありました。
今回の震災の被害がなければ・・・・本当に残念です。
街の中心を流れている小野川にかかる「ジャージャー橋」(「樋橋」が正式名称ですが、橋に
内蔵されている大樋から、30分に一回大量の「水」が川に流れ落ちる音に因んで呼ばれてい
る)のたもとに丁度よく(意図的に?)流水時間に居合わせ、この橋を伊能忠敬が歩幅70cmで
16歩で渡り切ったというので、急に年を忘れ? 同じことをやってみました。意外にも14歩で渡
ってしまい(計算上10mの橋のはずなのですが、実はもっと短くなってしまったのか?)内心
ドヤ顔・・でしたが。
東京に居るとつい忘れがちな「人の温もりや親切心」には、地方に行くといつも感激するので
すが今回、移動のために乗ったタクシーの運転手さんたちの親切さに触れないわけには参り
ません。待ち時間はメーターを倒さずに一緒に降りてまで歩いてお付き合いしてくださったり、
ジャガイモ・玉ねぎをお土産に(?)どっさり下さったりと本当に感激です。重いお土産でした
が、親切な想いのモノを頂き、心が軽くなりました。
佐原駅から東京駅行きの高速バスに、なんと数分前に乗り込むことができ、体は疲れている
ものの口と頭は、やけに冴えわたり??1時間半後に東京駅に着くと、「反省会&旅の〆」を
「おチャケ(酒)」で締めくくったのでした。平野隊長とは佐原駅で別れることになったため、
〆にご参加いただけなくて残念でした。
支援突撃隊という大役を担いながらも、プロICとしてまた熟女集団としての<長~い一日>
はこうして暮れたのでした。 終わり。
最強晴れ女=平野隊長 最強雨女=吉田隊員